この痛みを含めて

言葉や文字の並びが好きで、同時にそれを好きなまま生き続けるのはとても辛いことでもあり、ほんとうは名前なんてなかったはずの気持ちに、いちばん近い(と思われる)言葉を当てはめて形容する作業は決して終わりが見えない。なにも納得できない。どうにもしてやれず放った感情のほうが多かったはずだ。言葉はわたしの大切な冷たい甲冑で、それを毎日身につけているせいで脱げなくなった。でもその下に生身があることを忘れてしまえるわけではない。生身が消えてくれるわけではない。わたしの生身は常に守られて、同時に締め付けられていて、他者から殺されない代わりに自分のせいで鬱血していく。泣きながら手作りしたこの静謐な世界にはわたししかいない。わたし以外は入れない。

「あーーー!」という文字の並びにしてしまった時点で、「 」という叫びは、「あ」に長音がくっついたもの、としか認識できなくなってしまうもので。本当は別のこと叫んでいたと思う。そうだよね。同じ歪みを隠して笑っていたこと、痛いくらいに分かるから。言葉は他者との共通認識の上に成り立つ約束ごとで、その約束ごとに辿り着くまでの果てしない距離を渡る間に、心の中にあった時点では本当だったものは絶対に形が変わってしまう。だから他者がいる限り、ああ、これは「あーーー!」でいい、もう、と諦める。言葉は全部を嘘にする。心の中の時点では本物でも口から出れば嘘に変わっている。誰にも神にもどうしようもない。溜め息や表情などを使ってみても私の役に立たない。正しさは確かに存在している。それを誰かと共有することは決して叶わない。生身で生きてみたとしても、同じものをみつめることはできない。わたしの青とみんなの青は違う。誰もが誰とも分かり合えない。手を繋いでも毎日顔を合わせて裸で抱き合ってもなにも変わらない。