さみしい神さま

わたしは犬が死んだときも猫が死んだときも、神さまは美しい順に奪っていくんだということをとにかく実感して、痛いくらい思い知って、これを痛感と呼ぶのだということを体で理解した。わたしの周りの美しいものはどんどん枯れていく。この部屋で育てた植物はわたしの水のやりすぎのせいで何度もいくつも死んでいった。

わたしの愛は多分過剰で、それを後ろ手に隠すことで自分を守ってきた。そうしたら「冷たい人間」だと言われるようになった。私の関心は常に自分の中だけにあり、私が人に優しくするのは自分への信頼度を高めるためで、それ以上にも、それ以下にもなれそうになかった。わたしはわたしの神さまのために生きていた。わたしの神さまはわたしの頭と心とすべての細胞に住んでいて、わたしの人生はそのさみしい神さまに差し出す貢物だった。わたしはまっすぐに敷かれた線路の上をよそ見せずまっすぐに歩くことができるガキだった。

一人で住むには少し大きすぎる部屋で毎日目を覚ます。この部屋ではアラームの音だけが日々溌剌としている。外へ出たくない。自分だけのこの落ち着いた静謐な世界で永遠に膝を抱えていたい。そうしたら誰にも揺さぶられることもない。目覚まし時計もiPhoneも、俗世間と私を結びつけようとするすべてを壊して、精神だけを旅させたい。人の顔を見るのが好きじゃない。自分以外の感情や、それどころか人生そのものが表情に映っているように感じられて、それが私をひどく疲れさせる。だから都会で一生を暮らし尽くすことは不可能に近い。本を開く、イヤホンをつける、窓の外を見る、こうすると誰の邪魔にもならないし誰も私の邪魔をしない。放っておかれたい。私には教養もなければセンスもなく、表現力も運もない。誰にも後ろ指を刺されないように防衛線を張ることだけは上手くなった。こどもの頃は天才なんていないと思っていた。全人類は私が少し頑張れば手が届くようなところにいると思っていて、学生時代にはそれなりに勉強を頑張り、色々な芸術や歴史やその他諸々の命題に接してきたけど、その結果自分との距離を測ることさえ困難な優秀な人間と出会い、以降「天才は存在しない」なんてことは口が裂けても言えなくなった。この捉えようもないほど長い生きる時間、あのこたちが消えてしまった世界、おそろしい孤独に取り残された私を誰かが迎えに来てくれるだろうと信じられるだけの信頼がこの人生にはあるのか。