やさしい歌

神聖かまってちゃんが好きです。神聖かまってちゃんが好きと言うと世間からは「メンヘラ」と言われるのですが、の子が作る歌詞はとにかく優しいんです。人が魂を込めて作った歌が自分には響かない、いうことを、ただ「メンヘラがメンヘラのために作った曲だから」と形容することはすごく愚かなことだと思う。神聖かまってちゃんでは「死にたい季節」の

ねぇそうだろう 諦めてると僕らは なぜか少し生きやすくなる

という歌詞が好きです。

諦めて生きるということは世の中や他人に期待しないということ、という意味以上に、自分に期待しないということだと思います。自分に大きな期待をしすぎず常に程々を目指せば傷付かなくて済む、そんな風に曲がっていった自分が浮き彫りになるような歌詞だと思います。の子はそれを否定しない。それがすごく優しいなと思うんです。何かを目指さないことで自分を守ることにした人たちへの労いのような歌だと思います。

 

他には、たまに聴いているamazarashiの「爆弾の作り方」では

街には危険がいっぱいだから 誰にも会わず自分を守る

の部分が好きです。私は休日を迎えるたびしょっちゅう部屋に引きこもっています。部屋に引きこもって誰とも連絡を取らず、精神的にも完全に引きこもります。でも完全にずっとそうしているわけにもいかない。人間社会で生きていくならどんなに凄惨でも外に出て何かしないといけない。人間社会に限らず野生でも生きていけないでしょう。そこで必要になるのが爆弾の作り方です。自分のなかにいつか爆発できるはずの何かを作り出して、それを守っていることにする。そうしたら少しは正当化できる気がする。

 

それと、初めて聴いた時から欠かさず毎日聴いているのが大森靖子の「非国民的ヒーロー」です。大森靖子の曲の中でいちばん初めにハマった曲です。この曲はもともとの子が作った「非国民的アイドル」に対するアンサーのようなものですが、どちらも好き。

非国民的アイドルでは

ニーチェが言えば神は死んだんでしょ?

いいよね!君は流行りにも乗ってけそうだし

のところが好きです。誰かから又聞きしたような、教科書に書いてあることを覚えただけのような歌詞です。ニーチェという昔々のすごい人は「神は死んだ」と言ったらしい。人々の神への信仰が薄れ、それは人類に殺されたということなのだろうけど、凡夫にとっては神など元々存在していない。誰かが言ったことなど実感が湧かない。だけど君はそうじゃない。君は知らない誰かのすごそうな発言を無邪気に信じることができて、実体のないような流行にもなんなく乗ることができる。君とわたしの決定的な違い、に対する諦念。

そして非国民的ヒーローでは

すぐにはゆるせない だけど引きずられたくない どっちもハズレの「どーっちだ」みたいだ

という歌詞がたまらなく好きです。これってものすごく分かるというか、分からせられてしまいます。人を呪い続けるのには本当に体力が必要です。忘れたいけど許せない。許せないけど引きずられたくない。ハズレしかない二択のくじを無理やり選ばされているような気になって、だから忘れたい、忘れられたい。わたしはそう思うときがあります。人に対する「ゆるせない」という感情、つまり申し訳ないと思い続けてほしい、というような強気さの対岸に「引きずられたくない」という極端な弱気がきっと誰にでもあるのではないかと思います。大森靖子はこういう自己矛盾のような感情を本当に美しくストレートに、でも誰にも思い付かないような言葉選びで表現してくれます。例えば「VOID」という曲では

嫌われたくない 一人になりたい だけど寂しい 傷付かれたくない

という歌詞があります。人と向き合うことで生じる痛みから逃げたいけれど、そうしたら今度は孤独と向き合わなくてはならない。わたしが孤独にもがく間、きみはそれを見て勝手に傷付くのでしょう。傷付けたくないじゃなく「傷付かれたくない」。ここに人間として生きる際のずるっこさのようなものを見出し、それがわたしにはいたく見覚えのあるものなのでした。大森靖子さんの歌詞は、素の自分自身というものと他人から見られることで形作られる自分というものを対比させていることが多いように感じます。それはわたし自身が抱える絶対的命題のひとつであり、だからこそこういう歌詞に強く反応してしまうのかもしれません。

そして最後に大森靖子の優しさが最大限詰まった曲、「マジックミラー」です。

あたしのゆめは 君が蹴散らしたブサイクでボロボロのLIFEを 掻き集めて大きな鏡を作ること 君がつくった美しい世界を見せてあげる

というところです。サビとしての盛り上がりを見せる箇所でもあります。「君が蹴散らしたブサイクでボロボロのLIFE」というところが特に大好きで、この部分は本当に心の底に沁みます。生きていく中でどうしても捨てなければならなかったことについて思いを馳せます。こんなのじゃない、もっとこうじゃなきゃ許せない、そんな風に追い立てて作り上げたしぼりカスのような自分。HPは使い切って残機はいつも不十分で、頭の上にずっとドクロマークが付いている。そんな人たちの捨ててきたすべてを集めて、大森靖子は鏡を作ると言うのです。それを美しいと言うのです。

あたしの有名は 君の孤独のためにだけ光るよ

こんなにやさしいことがありますか。泣いてしまいます。