犬としての習性

好きすぎると隠したくなる。好きなものの好きなところを自分だけのものにしたくなる。音楽、映画、小説、全部そう。人に対しても同じ。大人になるにつれてその傾向が強くなっている気がする。私は好きなものや好きな人の前では首輪をつけられた従順な犬のようになる。宝物をたまに取り出してはうっとりと見つめてまた入念に隠す。埋める。隠す。埋める。隠す。その繰り返しの中で愛情を深くしていく。

本当に好きなものを知られることはこの上なく恥ずかしい。嫌いなものの話はいつだってどれだけだってできるのに、好きなものは直視できない。好きなものは私のすべてで、私の魂そのもので、だから本当に心から愛しているものを知られることは私のすべてを知られてしまうことのようで、音楽も映画も小説も場所も人間も「いちばん」を誰にも教えたくない。私だけが分かる私だけの理由でそれらを愛しているのだといつまでも勘違いしていたいのだ。そこに陳腐な共感はいらない。傷を付けたくない。私だけの解釈で純粋にぐちゃぐちゃに愛を歪めていたい。