そこにひとつの海が

昨年の9月に23歳になってから、やたらと海を見に行った。別に面白くもなんともない。いつ見ても変わり映えもしない。なのに何度でもどこへでも見に行ってしまった。

私は内陸の地に生まれ育ったので海に対する爆裂な憧れがあった。海はともだちでも母でもなく、荘厳で雄大ないつだって敵わない何かであった。向かうたびに胸の深いところからヒュッと音がする。子どもの頃は両親に連れられていった海水浴のための夏の海しか知らなかったから、東京に進学してからというもの冬の海が見たくて仕方なかった。夜の海も同じだった。夜の海は恐ろしい。寄せては返す波の揺らぎは真っ黒の泥のようで、たぷたぷと音を立ててこちらを凝視していた。

人に話せば話すほど解像度が低くなって全く違うものになってしまうような類のことが積もれば積もるほど、私は本当に孤独になっていった。口で話す能力が低くいつも何言ってんだろうって思う。本当はもっと言いたいことあるのにな。話したいこと聞いてほしいこと分かってほしいこと、もっともっとたくさんあるのにな。みんなにとっての共通認識、共通言語というものは常にそこに存在している。それらが展開されるごとに、自論はさらに強固に、そして閉塞的に。私の世界は私の頭の中でだけ完璧に構築されている。