脱獄

目を開けた瞬間から太陽に責められているような気がしていた。それが西日ならもう気分は最悪だった。私にはとにかく体力がない。身体的な体力でなく、精神的な体力が終わっている。私は皺が伸びて伸びて伸び切った脳みそで、枕元に置いた時計の針が午後16時を指しているのを確認する。地面を踏んでいるはずなのに足元には何もなくて、そもそも私の周りには触れるようなものが一切なくて、自分は何にも繋がれていないんじゃないかと甘ったれた妄想で押し潰されそうになる。その瞬間は生活をしていると絶妙なタイミングで現れて、私の目を徹底的に眩ませていく。

誰かと何かで食い違った折に自分の意見を主張しないことで、自分の中で作り上げている静謐な世界に他人を介入させまいとする、そんなずるっこい私は、自分と他人の間に絶対的な距離を置いて、年に小説を何十何百と読んではその価値観にじっくり浸り、強固な私ワールドを築いてきた。私は割とへらへらしていられるし誰にでも優しくできるけど、いい人だと勘違いされているだけで、たまに自分の無関心さを欠陥のように感じて恥ずかしい。すべてはしょせん窓の外の出来事で、でもその窓にカーテンをつけることはできず、ごうごうと燃える外の火柱を見ては内的に苦しむ、ということを繰り返している。

大学生の頃は自殺をしなければ「私」という作品は一生完成しないんだと思っていた。私は自分に変な期待をできるだけ持たないようになった。テレビを付けたらたまたま流れた馬の出産に心から感動して生命の偉大さに胸をつまらせたところで、その3日後には理由もなく絶望していたり、そういうどうしようもない現実を幾度となく経験してきたのだった。自然が好きで、月を見たり遠くにおぼろに見える山々を眺めたりしていたけど、そうやって綺麗に見えるものもこちらの精神状態ひとつでどうとでも汚せてしまえた。月が綺麗なんてそんなのはなんのひねりもないただのイメージだ。私はこういった感覚の部分で完全に自己完結している節があり、世界に対して閉じていると感じることがある。だから恋愛を通して二者完結することを常々拒んできたし、自意識という牢獄を牢獄と感じなくなることが主題の人生の中で、奇跡が起こることをいつも待っていた。運命という言葉はそれまで自分が選択してきたことのすべての結果だと思う。他の存在しえた運命を殺すために何度も口にしてきた。運命を単なる「奇跡」で終わらせないためならもうなんだってしてやろうと思う。