負け犬にしてはプライドが高い

取り返しのつかないような強い毒が塗りたくられた針がずっと前から私の人生に刺さっている。もうどうしようもなく軽蔑していた人のことを何かのはずみでうっかり許してしまった。自分の人生に余裕がなければ、特定の人についてムカついている暇なんかないんだな、と思った。

 

今も昔も多分これからも、ずっとずっと私は「才能」って言葉に痛いくらいに縛り付けられる。遊びで100点が取れなくなってしまってからはもうどれくらい経ってしまったのかも分からない。自分がそれまで自分のアイデンティティのようなものとして取り扱ってきたものは全然才能なんかじゃなかった。努力でもない。これまで必死に作り上げた狭くて暗い洞洞とした殻の中に私は種を植えつけて、自分の活力を肥やしにしていた。そうしたらこんな人間になってしまった。それは視認できない自殺のようなものであった。

グラグラのブランコみたいにボロボロで、いつまでぶら下がってられるか分からない人生で、気持ちばかりが先行してしまう。喉の奥から手が出るほどに、圧倒的な才能が、もう誰の手も届かないような才能が欲しい。そしてその才能で理屈なんかを四散させて誰も彼もをぶん殴りたい。並であればと満足していたら何もなくなってしまった。本物の才能を目の当たりにして手も足も出なくなった気持ちをいまだに忘れることができないでいる。

自分の才能の無さを補うかのように免許や資格を取る。みんなが上手に手放してきたものを私だけはうまく捨てられないままで成人してしまった。自分の世界から乖離して考えることができないせいでとんでもない厭世家になった。このまま死ぬまでずっと何をしても人生を楽しいものと思えず、悲しいのも一瞬、楽しいのも一瞬、結局魂は寂しいのか。辛いことの余韻はムカつくくらいに続くのに幸せの余韻は家に帰れば消える。あとはずっと虚しい。だから換気扇を付け窓を開け、自分の存在を分配して安心してばかりいる。