俺は人間を辞めるぞ

この数年のことを振り返ってみると、散々あった暗いニュースや最悪な事件ばかりを思い出して感情が湿ってしまった。色んなことがあったけど、今でも鮮明に思い出すのは、2020年に起こった大学生によるホームレス殺害事件だった。事件の詳細は知れば知るほどに凄惨なもので、ニュースを見ては具合が悪くなり、Twitterを見ては何の気力も無くなった。本当は「思い出す」と表現するほどの過去にはなっておらず、いまだに目を開ければそこに横たわっている現実だ。忘れてしまいたい。忘却にここまで焦がれたことはない。

そういった悲惨なことに胸を痛め「同じ人間だと思えない」と絶望する度、どこかで性善説を信じてしまっている自分に驚きもする。人間なんかは最悪な生き物だと散々に思い知ってきた筈なのに、それでも自分のその“常識”の範疇を簡単にすり抜けていく、想像もつかないほどの悪者がいるのだ。他の生き物を虐げて文明が築いた偽物の正義を押し付けてきた人間どものその一員としてぬくぬくと生き延び続けているこの私が、柔らかいソファに腰掛けながらてづくりしたモラルや徳義を抱えて、痛みに共感して泣いている。本当はあの犯罪者たちのように共感能力も思いやりも想像力も何もかも一切捨て切って、そうして陽を浴びて愉快に生き続ける方が理に適っているのかもしれない。生きることは奪い合うことなのだから。我々は奪い続けてここまで上り詰めてきたのだから。同じ種族の中ではみんな仲良しでいましょうなんて、そんな都合のいいことを、神さまはお許しにならなかったのかもしれない。安っぽい群れの中で争い競い合って涙を舐め合って同情し合う、私たちはこういう運命だったのでしょう。

人間は地球の癌で、草や木や花、人間以外のすべての風景は美しくて、人間なんてだいきらい。でも自分の身内には死んでほしくない。不自由することなく永遠に生きてほしい。色んな命に共感しては感情を弔いやり過ごしてきた。もう戦いたくない。でも戦わないと撫でてもらえない。だからもう忘れたい。痛いばかりでなんにも変えられないし、書き換えられないし消せはしないから。ただ看過したまま抱えた傷だけがその証拠、他の誰にも知られずとも。