副船長になった

自分のことしか考えることができない。

日々や生活という言葉に毎日苦しめられ、他人を圏内に入れた暮らしを送れない。どうしようもなくなって呪詛を吐き出してばかりいる。こうして文字に起こしてしまえばやっと自分のものではなくなるようで、縋るように、捨てるように書き、結局かたちを与えてしまったことで納得せざるを得なくなる。捨てたはずのものが気が付けば懐に戻っている。

 

渋谷という街の軽薄でヘラヘラした喧騒に馴染むことができない。

大学に進学する前、東京という言葉が持つ独特の輝きに、そこはかとなく憧れていた。新宿、渋谷、表参道、自由が丘……インターネットで目にする流行りのもののすべてが東京にあった。だから東京に来れば自分自身も勝手にキラキラするものなのだと思っていた。

若者の街として持ち上げられとにかくアバンギャルドであった渋谷は己の生活圏内として身近なものとなった。そうしたら途端にどうでもよくなった。私が本当に見ていたいのは光やネオンが煌々と輝くような眠らない街ではなくて、木や鳥や川の、生命の不眠だったんだと思う。

 

薬を飲むようになってから毎日、恋人がアラームをしてくれる。心を振り回してぐったりと動かなくなってしまった私に錠剤とグラスの水を渡す。将来のことなど何も考えることができない。動悸がして眠れない夜や死んだように眠りこけてしまう夜を超えて、朝になればどうせ目を覚ます。自分の舵を自分で取れない。だからこの船に恋人を乗せてしまった。恋人はどことなく嬉しそうで、それがこの上なく鬱陶しい。私が何もできないのが嬉しいんでしょう。私があなたに頼りきりなのがたまらないんでしょう。私が孤立したら閉じ込めておけるのが幸せなんでしょう。私は恋人のその優しさが愛執が、そのすべてが甘ったるくて気持ち悪くて吐き気がする。私は何も返すことができない。同じだけの気持ちも同じだけの優しさも同じだけの気持ち悪さも全部全部なんにも返せない。おかしくなっちゃったんだね。あなたの優しさは私を1mmもみじろぎさせないためにかける呪いみたいで、私は雁字搦めで苦しくて全部捨てたくなっている。

シャワーを浴びて髪を乾かすときに、鏡の中の自分と目が合う。頬や顎のライン。右目と左目の大きさがやや違う。二重幅も揃っていない。唇が小さい。鼻の横にほくろがある。今まで気付かなかったが肌は多分年々劣化している。ちゃんと見なければなかったことにできる、そんな程度の小さな変化が自分の体の中では毎日起こっている。この顔と付き合っていつのまにか20年を超えていたのだった。

 

生きていくためにミルクティーを煮る。人から貰った高い茶葉を使って。そして茹でた卵をジップロックで漬ける。次の日も、その次の日も食べられるようなものを作る。生き延びる指標は少しでも多い方がいい。特別じゃないまま戦わなきゃいけないから。