19歳-22歳

19歳のあなたは好きな大学に入ってなんでもしてやるぞと息巻いていた。何者にでもなれると思っていたのでしょう。でもあなたはすぐにどれだけ手を伸ばしても届かない次元にある存在に気が付く。あなたは常に自分を何かの模倣品のように感じ、いつも誰かの百番煎じくらいの、他愛もない存在だと分かってしまう。

あなたはしばしば文学部らしくない見た目だと言われる。それに鬱陶しい顔をしつつどこか誇らしげなのはとてつもなく無様だ。あなたは大学生活の中でいくつもの文章を書く。レポート、論文、小説、日記、ありとあらゆる言語現象を抱っこする。けれどあなたはやっぱり自分の発想やひらめきの限界を思い知る。それからスマホばかりを見るようになって時間は無限に空費される。月末になると重くなるスマホを眺め、イライラしながら電車でインスタの画面をスクロールする。動かない地図アプリのせいで道に迷って、月初になれば食ったギガ数がチャラになることを心待ちにしている。あなたは「大学生っぽい」ことをすることを嫌悪しながら、どうしようもなく大学生っぽさのど真ん中を突き進むことになる。激しい自意識と劣等感のはざまで、あなたが選べたのはそういうふうに擬態することだけだった。表面的な満足を毎日毎日水飴みたいに引き伸ばして繋ぐことが楽なんでしょう。分かるよ。あなたはそれを辞めることができない。

あなたは作家にはなれない。

20歳になったあなたは自尊心を拗らせまくっている。くゆる自己愛を捨てきれずに、胸元と腕にタトゥーを入れて耳の軟骨にピアスを開けている顔がいいだけの変な男に捕まる。あなたとその男は趣味嗜好がすごく似ていて、そんな同じ畑にいるように見えるそいつは、あなたを試すためにめちゃくちゃに傷付けようとする。めちゃくちゃに傷付けたいくせにしれっとした顔をしている。あなたはまったく傷付いていないふうを装う。嘘みたいな、お手本みたいな手順で本当はちゃんと傷付いたあなたは、目に映るものすべてが極彩色のラリったメッセージ状態で、見事な無敵ステータスになる。独占欲が強いあなたは独占できないなら捨てることしか選べない。あなたはあなたを傷付ける男に人権を与えることができない。だから傷付いてない顔のままそいつを捨てることにする。半年だけあなたを見てきたそいつは泣きながらあなたに「冷たい」と言い放つだろう。興味がないことにしようとしたら本当に全く興味がなくなったあなたは、それに対してまるで心が動かない自分に驚きつつ、そいつをブロックしてこの世から完全に消すことを選ぶ。偶然街で会ったときに話しかけられても、あなたは人間の血が通っていないかのように目も合わさず無視をする。簡単に恋人を捨てることができるあなたは、それでも「自分は特別な人間に違いない」という愚かな思い込みだけは捨てることができない。若気の至りで入れたタトゥーが皮膚に沈澱するごとく、じっとりと、その思い込みだけが心臓の奥深くまで刷り込まれている。

そしてあなたは惰性だけで教職をずるずる取っている。日本文学の研究室を出て高校の教員になる。あなたは自分の中にある素直さと偏屈さの矛盾から目を逸らすために出版社の内定をブチ捨てる。あなたは長年丹精込めて肥やしてきた自己愛のせいで、インターン先で絶望することになる。賞を取って出版されるのを待つのみの作品を読んで、自分が書いた方が面白いだろうと尖り狂う。しかしあなたは何者にもなれそうにないことを受け入れるために段々と言い訳を用意し始める。そうしていたら、安いティッシュペーパーを次から次へと出しては消費するように、あなたの貴重な大学生活はあっけなく終わる。そして躁鬱になる。

21歳のあなたは自分が躁鬱だということをしばらく誰にも言うことができない。病気になってなおあなたは自己の内面との戦いを続ける。周りが他人に目を向け社会に目を向け前だけを見据えている間、あなたがしていることといったらとにかく自我を飼い慣らすための方法を模索することだけ。ほらまたやったね、尻尾巻いて逃げたね。あなたの部屋のピカピカに磨かれたシンクは、あなたの小狡さと滑稽さでできている。じめじめと自分の心をつついている間に周りはどんどん大人になる。社会はみるみる進んでいく。あれだけ望んだはずの停滞があなたを殺す。部屋の植物は水のやりすぎで枯れている。

そして22歳になり大学卒業を目前にしたあなたは卒業論文に取り掛かるのがなにをどう考えても遅い。だって何したって作家にはなれないから。研究者にもなれない。学科の優秀論文に選ばれることも、目標だった主席での卒業もない。あなたが大学で得るものといえば、周りが愉悦的性ライフを送っている中でまったくもって男遊びをせず綺麗に過ごしてきたという自負と、目を輝かせて勉強をして吸収した少しばかりの文学的知識くらいのものだ。でもそれでいいよ。役に立たないものを大切にすればいい。価値も意味もゴミカスほどすらないものにときめいて、自分への信頼度を高めて、そうして初めてあなたはちゃんとした無敵になれる。

23歳になった私はやっぱりこだわりやプライドやその他諸々の自意識を拗らせたどうしようもない女で、そのくせに自分のことを繊細だと思っている。なんとなく教師にはなったものの受験のためだけに勉強を教えることがつらくてたまらない。私は文学のために文学をしていた。私の勉強のすべては学問そのもののためにあった。そして学問もまた私だけのためにあるようだった。私は相変わらず独占欲が強いから、独占できないものを愛することができない。手に入らないならいらない。文学はその点において、望めば望むだけ得ることができる、そして誰からも奪われない、自分のものにさえなれば誰にも変形させられない、至上の命題だった。諦めては捨てることを繰り返すばかりだった私が唯一、永遠に守り続けることができるものがそれだった。だから国語自体は楽しい。たまに陸上部を見るのもおもしろい。そのほかで学校にいる時間はすべて拷問のようにつまらない。

だって私は作家にはなれないから。