木星

教員として働き始めてから数ヶ月が経った。暮らしも慣れてきて、出勤のためにわたる道もルーティンの一部のようになってきた。

想像していたよりも遥かにひとは何かを抱えているらしい。気楽そうに見える者も、無償の優しさを振り撒く者も、すぐには手放すことができない重たい荷物を背負っている。子どもたちの笑った顔はあまりにも輝いている。それは笑顔というよりは地滑りに近く、私の心臓めがけてまっすぐに滑落する。彼ら彼女らが私に与える動揺は、火星に毎日のように地震や砂嵐がやってくるように、それはそれは決まりきった自然現象で、それを日々傍受してはまたたく閃光が目の裏に映る。

教員という道を選んで良かったのかもしれない。

私は全然人のことが好きではなかったのに、椎名林檎がかつて「人間が好きなんです」と言っていたという理由で、彼女と同じように振る舞っていた。わたしは人間が嫌いだった。「人には人の地獄がある」という言葉も大嫌いで、地獄は地獄でも番地によっては辛さが違うだろうと警句を弄してはいじけながら明日を待った。教員になってから数ヶ月、その数ヶ月の間だけで私はさまざまな住所の地獄を知ったのだった。死にたいというのはもう現実的じゃないと思った。どうせ死なない。結局はいつも生存を選んできた。それならもうすべて諦めて、地べたを這いつくばってでも幸せを求めるのが多分賢いんだろう。

大学4年生の夏、次第に強くなる死への欲求を持て余していた私は、駅のホームで鬱々としていた。1時間ほど経って、いや、1時間のように感じただけで実際には20分だったかもしれないし、3時間だったかもしれない。とにかくベンチからふらりと立ち上がった私は、決意したはずの線路への飛び込みを辞めて電車に乗って渋谷を通り過ぎ、大学の講義をサボって知らない街に行って本を買って帰った。喉が渇いたことに気付いたので自販機でりんごジュースを飲んだ。そのとき私は自殺じゃなくて文学を選んだんだ、という明確な光が見えた気がした。それが今日までの私のしるべとなった。でもこのしるべには時効がある。永遠じゃない。だから色んなことに名前をつけよう。すべての事象に文字を当てよう。そしたら文章を書いて、言葉には限界があるんだって、何度だって思い知ろう。書いて言って話してぜんぶ嘘にしたい。