嫌な記憶に魚の名前をつけよう

私は嫌な記憶は鮮明に覚えているし折々で思い出すけど、楽しかったことや嬉しかったことはもやがかかったようになってしまう。「もしかして気のせいだったのでは?」とすら思う。きっと夢だったんだ。夢だったことにしてしまう。だから初対面から一、二度ほどしか会っていない人とはうまく話せない。その人はどういう感じの人だったか、どう接したらちょうどいいのか忘れてしまう。会話の内容を覚えていないわけではなくて、多分覚えてはいるんだけど、それでも全部気のせいだったような気がしてしまう。変な人見知りみたいになって疲れる。

最近だいぶ心の調子が良くなってきた。感情が上空から地に落ちて粉々になることが減った気がする。このあいだ、躁鬱についてどんな理由でそうなったのか、何がきっかけで気分が落ち込むのか、そうするとどうなるのか等聞かれてうまく答えられなかった。これといって明白な理由はない。私の人間性がもともとそちらを向いていて、誤って淵から落ちた先に躁鬱があったのだと思う。病院の先生からは「よくその状態で頑張ってきました」と、大学の教授からは「あなたは人よりもセンシティブ」と言われた。私の人としての根本には暗いうろのようなものがあり、そこに社会や人間や生活に対して感じる嫌気を放り込んでいるうちに蓄積して少しずつ広がっていき、全身を蝕んでいった。だから健常な人が想像するような劇的な出来事は何もない。ただ日々の中にそれは横たわっていたのだろう。

感受性が豊かと言えば聞こえはいいけど、まったくいいことではない。人生という海を船で渡るには愚鈍なくらいがちょうどいい。私の精神が暗闇のどん底まで落下するのは人の心の動きに自分の心が同調してしまうためだろうだから。センシティブ。便利な言葉だ。バカみたいにセンシティブだ。落ちてしまうと私はもう立ち上がることができない。靴紐だってうまく結べない。外に出るために自分に暗示をかける。いいことがあってもひとつの悪いことでそれは帳消しになる。80点の一日が一瞬で0点になる。だから夜に眠れない。夜に眠れない人は一日に満足していない人だそうで。

23歳になろうがこの先健康にずっと歳を取ろうが、ゴリゴリに周りを見ては焦り、立ち止まり、ぎゃあぎゃあ泣いて阿鼻叫喚の大騒ぎをしながら自分の中で言葉が炎の柱のようにごうごうと燃えるのを見守り、記録していくこと。そうして生きることこそ、生きている実感を返り血のように浴びていられる唯一の方法なのだと、私は受け入れつつある。そしてそんな日々のすべては、いつか割るくす玉の中に紙切れを詰め込む作業だと信じている。死ぬ時になってその紙吹雪の中で思うのだろう。何も間違っていなかった。何も間違ってはいなかった。