運命

怒りという感情は疲れるので悲しみに転換しようと初めて意識したのは中1のときで、暫くはうまくいったりいかなかったりしたけど、関与しているコミュニティの中でわたしへの理不尽や横暴があろうともすべて単なる厄災なので、キレ散らかしたりせず、円滑な人間関係を育めるように、不服があっても優しくしよう、そうしたらいつかは報われるんだと思って生きてきた。と思う。自分ではあんまり人に怒らないようになるべく努めていたと思う。怒りは二次感情という言葉をやっと知ったころ、これまでスルーしてきたたくさんの意地悪に対しての憎悪が堰を切ったように湧いてきた。わたしは高校生のころクラスメイトに「誰かを嫌っている印象がない」と言われたことがあって、そのとき「あんまり考えたことないかも」と返したけど、わたしにははらわたが沸騰するくらいに大嫌いな相手がちゃんといた。

殺意すら覚えている相手がいることを誰にも言わないまま大学に進学して、わたしは勉強にただ勤しみ、目標を持って生活をすることで、自分を自分で崇めた。忙しく調べごとをしたり勉強をしたりする時間はとても安らかで楽しかった。狂いそうな怒りを宥めるよりも楽な作業だった。わたしはわたしの安らぎを自分で作ったんだという誇らしさがあった。

はじめはそれで良かったのに、段々とどこに行くにも足取りが重くなり、あんなに好きだと思っていた勉強に興味が湧かなくなり、趣味や好きなこともどうでも良くなってしまった。外に出るには這うほど必死にならなければならず、突然泣いたり大きな声を出したり小さなことで発狂するようになり、少し経って、彼氏に同行されて精神科に行った。

長い長い問診票を書いて、伝記でも書いてくれるのかというほどあれこれ聞かれ、重度の躁鬱と診断されて、わたしはまた泣いた。病気で頭がおかしいから、何もかも自分のせいじゃないんだという安堵も含まれていたのかもしれないし、道を外さず朗らかで安定した人生を歩もうと耐え忍んできたさまざまなことが、このいっぺんに無駄になったと感じたのかもしれない。

ほんとうは今すぐ死にたいくらいつらくても笑っていられるようになったし、表面的には普通の人と同じように相変わらず過ごしているけど、本当のところは、素の状態の自分がもうどんなだったか、もう思い出せないしわからない。いつか取り戻せるかどうかも自信がない。今までの自分を手繰りながら、自分の体という器を使って腹話術をしているような感覚になる。これが一般的に言う虚無なんだと思う。わたしはわたしから逸脱してしまった。

それからは、ひとりの時間は激情にのたうちまわりながら、未だ燻り続けているあの殺意を宥めては「あれは怒りだったのか」と何度も無意味に確認して、諦めるために忘れようとするだけだ。