週末のために

好きな男と付き合ってから私と好きな男はずっとくっついていて、くっついたままダラダラとおでかけをしていた。好きな男は私の手を引きながら、時には腰を抱きながら、前から来る通行人を避けさせたりした。そうやってくっついたまま目的もなくダラダラと歩いては、騒がしい大学生集団に舌打ちしたり、風の匂いについて話をしたりした。それは何十回目かの電話のあと「今から会おうよ」の一言で始まった。今年の冬は青色の服を増やしたいな、前髪をもう少し切りたい気がする、そういえば薬が切れそうだ、そんなことを考えていた普通の秋の日に、彼は私の前に現れて。誕生日を迎える前の20歳そこそこの秋の週末に始まった。そして私の週末は彼のものに。彼の存在が私にとっての週末の定義になった。車に乗ったり日光にいたり、夜中にうどんをチンして食べたり。荷物をたくさん持って腕が塞がっている時も、立ち止まってポケットからスマホを取り出す時も、彼は私のことを側に置いてくれた。私は、彼の靴や足を踏んだときの、彼の“踏んでるよ”という言葉が好きだった。それくらい近くにいる、その事実が好きだった。私が飲みに行くと車で迎えに来てくれて、その帰り道はいつもより少しだけ不機嫌。東横線をもつれるように降りて改札を出る時だけ体の半分がスースーする。好きな男は私の取り留めもない話をいつも聞いてくれる。スイカはなんで赤いんだろう、丸い四角いというのになんで他の形は形容詞にないんだろう、なんでなんでどうしてどうして。どうでもいいでしょって笑わずに、確かになんでだろうって言ってくれる。彼はいつでも私に全身全霊で、そして無理なく等身大で、不器用で底抜けにパワフルな愛情を以ってして存在している。対する私はこの上なくセンチメンタルで、どうしようもなく鬱病で、それはそれは面倒な女であった。好きな男は私を無敵にした。病気も癖も関係ないって。本当は2023年を迎える前に死のうって思ってた私の、孤独、絶望、漠然とした不安、人への刺々しい気持ちごと抱っこして。いつも悲しみでぱんぱんの私の手ごと自分のポケットに入れて。それでいいよって言った。好きな男とまたカオマンガイを作りたい。初めて行った彼の部屋で、フォークがないから爪楊枝で鶏肉を刺しまくって、やっと味が染みたカオマンガイ。また同じ週末のために。私だけの週末のために。