共感されなきゃ感情じゃないかな

人と長年一緒にいるとその人にしかない奥ゆかしさ、才気、知性みたいなものが分かってくると思うんだけど、わたしは親しい友人のそういう玄奥な部分が大好きで、それが本質なのか側面なのかは置いておいたとしても、やっぱり尊敬しているってことに帰着するのかなと思う。で、そういうのは自然に分かるわけじゃない。好きだから一緒にいて、なんとなく楽しく過ごしてるうちに勝手に見出しているんだと思う。だから「あなたはこういうところがあるよね」と伝えても、多分当人は頭に「?」を浮かべるのだろう。

わたしは付き合う人間をかなり選ぶタイプで(選ぶなんて言葉を使うと高慢な感じがするんだけど)、心のどこかでそれ以外は全員嫌いだわとすら思っている節があり、これは本当に良くないことだと思う。東京の大学に入学してからは特にその兆候が強まり、わたしの人間関係は全部灰色で、今でも鮮やかに色付いたりはしていない。人生の中で本当に大切に思える人間は2,3人でいいと思っているのでそれで構わないんだけど、たまに「(異性と)もっと遊んだ方がいいよ(笑)」みたいな検討外れなアドバイスをされることがあって、こういうときわたしはムカついているし心の中でそいつの顔を6発くらい殴っている。お前からの共感はゴミで無価値でまったくくだらない。

本当に分かってほしいことは絶対に知られたくないことでもあり、感情は昂って激しくなるほどに形容しづらく手の中に収まらなくなるから、人には絶対話さない。無理やり言葉にするとこんがらがって別のものになってしまうので、それはつまり莫大な感情を言葉にした瞬間本物じゃなくなるということなので、と思い続け22歳になり、今はその荷物が少し重いときもあるけど、孤独って単に寂しいとか誰かと居たいとかいう感情のことではないと思っていて、自分の持ってる気持ちを「分かる」とか「それな」とかで雑種にしないようにすることが、生きていく上で本当に大切にしなきゃいけないことだと思う。