過去で生きてる

高校生のころ女子生徒みんなが靴下を引っ張りながら登った階段のことを突然思い出した。容量を食う事なんて構いもせずにスマホを替えるたび復元し続けたカメラロールには、そのほとんどが残っている。校則で禁止されていた巻き髪や校内でのスマホ使用や口紅は、学園祭ではなんとなく、暗黙の了解みたいに認可されていて、だから私たちはその邪魔くさい校則をここぞとばかりに破りまくり、流行のまだほんの序章に過ぎなかった頃のインスタグラムにキラキラした写真をたくさん載せた。体育祭の日は、淡いような深いような変な色の緑のハチマキを、大好きな友達とお揃いでポニーテールにリボン結びした。その時の写真は今見返してみても可愛くて可愛くて仕方なくて、高校生の時の、なんとなく綺麗に見える肌、化粧なんかしなくたって褒められるのが当たり前だった顔、それでも唇を赤くしたくて、女の先生に睨まれながらこっそり塗ってたエチュードの赤リップ、フォロワーが1000人を超えてたTwitter(バカ)のことを思うと、居ても立ってもいられない。

なのにカメラロールの前に蹲って過去に遡行するとき真っ先に目が行くのは、特別な行事のありきたりなみんなが撮ってるキメ顔の写真なんかじゃなく、本当にただの、何気なさすぎて人には見せることのないような、切り取った日常のほんの一部の写真で、放課後なんとなく撮った誰もいない廊下とか、競技場でマネージャーが撮ったのとか、模試の昼休みに撮ったセルフィーとか。

私は私の過去の全てをトロフィーにみたいにして飾って、たまに思い出してピカピカに磨いてみてはうっとりとため息をつく。そういう時の自分は今日現在の自分のことなんかもう眼中にはない。生きていて一番気持ち良くなれるのは、もう戻れはしない過去のことを撫で回している時間なんだよね、いつまでも、何歳になっても。